ディスコ — 沿革
会社設立からの主な出来事の推移
沿革一覧
1937年
工業用砥石を製造、販売する目的で第一製砥所(個人営業)を創業、ビトリファイド研削砥石の製造ならびに販売を開始
呉市で砥石メーカー「第一製砥所」として創業。当時の呉市は、戦艦大和の建造で知られる呉海軍工廠があり、日本一と言われたハイテクのメッカで製砥業も栄えていた。しかし、優秀な先発同業者が多かったために後発組の当社は品質的にも官需の仕事がとれず、やむなく民需を求めて本社を東京に移した。その後、戦後の復興期、電力計メーカーから思いがけない商談が持ち込まれた。それは電気の使用量を計測するための積算電力計の内部にあるC型の磁石の先端を研削、研磨する必要があり、このC字型磁石研削用の砥石を作れないかというものだった。技術陣を総動員して砥石の薄型化に取り組み、当時としては驚異的な厚さ1.2ミリの高精度薄型砥石の開発に成功。これを契機に、ものを「精密に」切断するというテーマに関心を向け始めた[1]。
1956年
日本最初の極薄のレジノイド砥石を完成
万年筆メーカーの依頼により、厚さ0.13~0.14ミリ(130~140ミクロン)、直径100ミリのレジノイド砥石の量産体制に入った[1]。万年筆のペン先を切悪ための砥石だった[2]。
1968年
超極薄40ミクロンレジノイド切断砥石「ミクロンカット」の開発に成功
砥石の薄型化をさらに進め、1968年に厚さ40ミクロンの超極薄砥石「ミクロンカット」の開発に成功した。この砥石は日刊工業新聞社の1968年十大新製品賞を受賞した。しかし、ここで大きな転機となる壁が立ちはだかる。「加工中に砥石が割れる」というクレームに対し、取り付ける機械側に問題があると説明しても「砥石が悪い」と言われ、クレーム対応のたびに苦い思いをした。どれほど高精度の砥石ができても、それを使いこなせる切断装置がまだ世の中になかったからだ。国内の工作機メーカーに、砥石を使いこなす機械の開発を持ちかけたが、相手にされなかった。ならば、自分たちでやるしかない。意を決して自ら装置開発に挑戦することを決めた。現在も受け継がれる「アプリケーション技術(利用技術)」を重視する姿勢が、この装置開発への第一歩を後押しした。[1][2]
1969年
米国現地法人DISCO ABRASIVE SYSTEM, INC.を設立
後にシリコンバレーと呼ばれるようになる土地に日本の半導体関連企業として初めて進出し、海外展開も積極的に進めた[1]。
1975年
半導体用ダイシングソーを開発、販売を開始。精密ダイヤモンド工具へ進出。
現在のダイシングソーの原型である「DAD-2H」の開発に成功[3]。セミコンウェストに展示し、会期中にデモ運転を続けたところ、競合他社の装置と違って「止まらない装置」だと評価され、大反響を呼んだ[2]。
1977年
商号を株式会社ディスコに変更
事業内容が砥石メーカーから砥石を用いた半導体製造装置メ ーカーへと変化し、企業の体質も変化してきた。そこで、照合を第一製砥所から、英文社名の頭文字(DaiIchi Seitosyo CO., Ltd)をとったディスコ(DISCO)に変更した。[3]
1980年
ロータリー・サーフェイス・グラインダ「DFG-83H/6」を開発
世界初クリープフィード精密平面研削装置として、DFG-83H/6を開発、販売を開始。当時は4-6インチに対応していた[1][4]。
1981年
国内140社、海外28カ国140社でディスコのダイシングソー1,000台が稼働、圧倒的なシェアを確保[1]
1997年
企業としての価値観である「DISCO VALUES」を構築、社内共有を開始
1998年
300 mmウェーハ対応のダイシングソー、グラインダを開発
2001年
乾式研磨方式のドライポリッシング工法を開発。初のドライポリッシャ「DFP8140」と「ドライポリッシングホイール」を製品化
2002年
300 mmウェーハ対応のレーザソー「DFL7160」を開発
2005年
バックグラインディングの加工方法「TAIKO プロセス」を開発
2016年
新たな加工手法によるレーザスライス技術「KABRAプロセス」を開発
2024年
大口径ダイヤモンドウェーハ製造を実現するKABRAプロセスを開発
2024年
330mm角までのパッケージ切断向けダイシングソー「DFD6370」を開発
2024年
KABRAプロセスでGaNウェーハ生産を効率化「DKL7640」を開発
出典
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